沖縄タイムスへ掲載されました
フードバンクセカンドハーベスト沖縄
昨年、皆さんからサイズアウトしたお子さんの服などを集めてバザーを致しました。
その集めたお洋服などと、売上金、NIPPON5感育協会からの寄付金をフードバンク沖縄さんへ寄付させていただきました。
是非、お米一合でもいいです、未開封のインスタントなど是非フードバンクさんへ寄付をお願いします。
今回私1人では、絶対にできなかったです。
スタッフの親川が企画、段取りなど全て手配してくれて本当に助かりました。
ありがとうございました
そして、記事を見た高校の同級生から連絡があり、急に中学、高校の時の誰にも言えなかったあの時の気持ちが蘇ってきたのです。
2歳の時に父が他界し、その後自営業していた母の仕事が倒産し借金を抱え、中学に入学するも、部費などが払えないと部活に入るのを猛反対され、生徒会に入りました。
浦添高校に入学するも、教科書代が払えずしばらく違うクラスの友人から教科書を借りて授業を受けていました
当時の浦添高校は、進学校でしたが、(今は新しい高校出来たり、校区が解除されたりしているのでわかりませんが…)入学後から学費が払えなくなり、アルバイトをして自分で学費を払わなければなりませんでした。
もちろん、楽しい修学旅行は行けず、バイト代で学費と少し家にお金を入れて、運転免許取得の資金を貯めて…の3年間でした。
ずっと、私は周りの友人とは家庭環境が違うからと、中学からの大学進学の思いを押し殺し、バイト仲間と遊び学校では居眠り…の毎日でした。
そして、皆んなが進学する頃。
一緒に遊んだり、アルバイトをしていたりしていた仲の良い友人たちが次々と、専門学校や大学へと進学していくのをみて、はっと思ったのです。
お金さえ有れば、お金さえあれば、高偏差値を選ばなければ、誰でも進学ができるんだ
勉強ができるんだ
と気づいたのです。
お金がある家庭の子だけが、勉強が出来るんだ
押しつぶされそうな気持ちでした。
私は親の残した借金やらの返済やら、家庭の事情でどうしても働かねばならず、例え奨学金をもらっていたとしても働かねばならない状況で、勉強する時間の確保は到底無理な環境でした。
実はそれが、29歳頃まで続いたんです。
幼い頃、母が仕事で帰りが遅いのを、泣いて待ちました。
食べ物も無くていい、住む所も無くていいから母に側にいて欲しかった。
一緒にご飯を食べたかった。
ずっとそう思って育ちました。寂しかった。
でも、母は言葉での愛情表現が上手で、いつも愛してるよって言ってくれました。
「いつかとっこが誰と結婚しても、世界で1番とっこの事を愛しているのはお母さんだからね。」
その言葉を、母になったわたしは、今同じように娘に言っています
長かった…ホントに長かった。終わりが見えなかった。
ですが、振り返るとあっという間でした。
夢も希望も何もない、10代と20代でした。
いつも、私は周りとは違う。でも絶対に人を羨まない。
私はわたし。と言い聞かせていました。
そして、あの時の苦労が今のわたしの、木となり根となり、枝葉を作っているような気がします。
実はまだまだなりませんが…これからかな?
でもね、苦労って言っていますがこんな苦労は序の口で、もっともっと苦労をしている人はたくさんいるのです。
そんな方達の生き方を見ると、奮起するのです
私なんて、まだまだ努力が足りないなって。
もっと頑張らなきゃネ。
専門学校講師は、就職してから専門学校だけの教員資格を取得しました。
フードバンクセカンドハーベスト沖縄さんへも、どうぞ宜しくお願い致します
株式会社 NIPPON5感育協会代表
TOCCO
幼児期からの『5感タッチケア』オーガニック・無添加の食卓を作る『食育講座』などのプログラムを通して、五感を育みながら、子どもの好奇心、感性、知能を育てるメソッドを確立とし、2013年より活動をしはじめ、2016年に『NIPPON5感育協会』を設立。
子どもの心は、スキンシップも食も大人の手で育んでいくことの大切さを伝えることを、心手育(COTECCU)として子どもを生んだら子どもに寄り添って育てる大切さを伝えている。
3人の娘を育てる母として、子育ての中での「発見」や「気づき」を「NIPPON5感育協会」のコンテンツとして、忙しい子育てママに提供する活動を続けている。
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